「いつまでも、あると思うな親と金と仕事と健康と今ある環境」
9/9(月)
8月も気がつけば一瞬のうちに終わってしまった。
そしてもう9月。
今日は台風の影響とかで交通網が混乱し、大変な一日であった。
8月の終わりに、まあまあ濃い間柄だった大阪の叔父が急死した。
なので久しぶりに実家へ帰ることになった。
叔父はテレビや舞台の大道具の仕事をしてた。
だからライブハウスの俺とも近い感覚があって、正月に顔を合わすたびに、
「下北沢の小屋はどうや?今度東京行ったら覗きに行かなあかんなあ」
とその叔父はよく言っていた。
俺が高校を辞めてしまったときも、
「俺のところにバイドに来るか?」
と心配し、優しい声をかけてくれたこともある。
そんな叔父の突然の訃報だったので、とても悩んだがMOSAiCは休ませていただいて葬式に出ようと決めた。
今年になって、まだ実家に帰ってない。
ましてや墓参りにも行けてない。
つまり両親の顔すら見ていない。
正月くらいは実家にと思っているが、今年はなんとなく東京で過ごしてしまった。
”次に大阪に帰るのは来年かなー。墓参りも来年かなー”
とやんわり思っていた。
帰るきっかけが出来たので、葬式が終わった次の日は墓参りに行こうと決めた。
朝早い新幹線に乗って、午前中には大阪に着いた。
久しぶりに父親に会って思った。
”なんか随分歳とったなー”
と。
喪服に着替えて一緒に斎場へ向かう道中、父親の歩く後ろ姿を見て思う。
”ヨボヨボなお爺ちゃん”
数年前に足の血管が詰まる病気をして、それ以来歩くのもままならないみたいで、気持ちは前に進みたいけど足が言うことを効かないらしい。
俺は父親の隣を歩きながら、
”ゆっくりでええで”
と何度も声をかける。
「おお」
と父親が答える。
中央線で深江橋まで行って、そこから斎場まではタクシーを使うことにした。
俺は思った。
”帰りは直接家まで、タクシーで帰るほうがいい”
頼りなく歩く父親の姿を、あまり見たくないなーと思った。
だから帰りはもうタクシーにしようやと。
葬儀は滞りなく終了し、出された弁当をつまみにビールを飲む。
久しぶりに会う親戚みんなと、近況を語り合う。
子供の頃以来、久しぶりに会うオバさんたちに、
「あんたも立派になったんやねー!」
と言われた。
俺は立派でもなんでもない。
叔父の葬儀の間、俺の従兄弟にあたる長男は涙ひとつ見せることなく、立派に気丈に振る舞っていた。
その姉にあたる従兄弟も、小さい子供を二人も連れて九州から父の葬儀に来ていたが、悲しい顔ひとつせず終始笑顔であった。
二人とも、俺より年下。
俺にそんなこと出来る自信がない。
従兄弟二人を見て、俺はとても恥ずかしい気持ちになった。
俺はと言えば、2回も結婚したのに子供もいないし、金もないし、何もない。
ピアスも外さずにそのまま来てしまった。
いつも女のケツばっかり気になる。
そんな奴が立派なワケない。
そう、立派なのはチ○コだけ。(違うか)
自分のことしか考えてこなかった40年間だったなあと、その時つくづく思った。
そう思うと俺は本当に情けない息子であり、途端に申し訳ない気持ちになったのである。
葬儀が終わって実家へ戻り、スーパーへ母親の買い物に付き合うことにした。
「今日はペットボトルの水が安いねん。だから買い溜めせんとなあ」
と言うので、
”俺が買うたるし、重いの荷物も持ったるよ”
といっちょ前なことを言ってみたりした。
たかだか水で。
実家にいる母親と俺は、血が繋がっていない。
俺が15歳のときに親父が再婚したので、つまりその時からの育ての親である。
でも本当の母親以上のことを、沢山沢山してもらって来た。
だから今では母親というの概念を超えて、むしろ神レベル。
神さま仏さまという感じ。
ほんまに。
そんな母親は数年前に癌を患った。
でも俺はその時に何もしてやれなかったし、むしろその頃の記憶も曖昧だ。
そんな程度である。
当時の俺はというと、ただただ仕事に夢中で、それ以外はエロいことしか考えていなかった。
母親は抗がん剤治療を断って、それ以来再発してないらしい。
検査の結果も、基本的にはいつも良好らしい。
そんな母親は晩飯に、ハンバーグを作ってくれた。
そして俺の好きな、カンパチとサーモンの刺身。
優しい。
テレビで阪神巨人戦の中継があったので、父親と並んで久しぶりにナイターを見た。
「俺が見ると阪神は絶対負けるんや!だから見たないんや!」
とその日も父親は言っていたけど、試合が始まると白熱して、
「アホボケカス!」
と文句を言いながらも、なんだかんだ試合を楽しんでおり、昔のままの父親の姿がそこにあった。
”父親とこうして飯を食いながら、ナイターを見るのは何年ぶりやろうか”
試合は見事に阪神が勝ってくれた。
だから父親は上機嫌であった。
その夜は2人で良い酒を飲んだ。
翌日は予定通り、墓参りに行くことにした。
うちの墓は奈良の富雄というところにある。
広大な敷地に沢山のお墓が並んでいて、その一角にうちの墓もある。
祖父が亡くなって、祖母がこのお墓を建てたらしい。
立派なお墓である。
ここのお墓の管理費とお花代というのを、今更ながら俺がようやく支払っていくことになった。
でも支払いの期日をいつも忘れてしまい、お花も枯らせてしまい、両親に恥ずかしい思いをさせ、なんとも先祖不幸なことをしてしまっていた。
だからお墓に眠る祖父も、きっと怒っていたはずである。
灼熱の太陽のもと、久しぶりにお墓を掃除した。
今までは父親が祖母を連れて毎月来ていたみたいやけど、祖母は脳梗塞を患ってから今では施設にお世話になってる。
だから墓には全然来れていない。
父親も足の状態があまりよくないから、最近では半年に一回くらいのペースでしか来れてないらしい。
子供の頃、墓参りに来るたびに祖母が言っていた。
「あんたは長男やから、死んだらここのお墓に入るんやで。ここのお墓は直系しか入られへん。次はおばあちゃん、次はお父さん、お母さん、そして長男のあんたや。」
しかし俺はいま東京で暮らしているし、これからどうしていったらええんやろか。
そんなことを思いながら、墓を後にした。
東京に戻る前に、祖母の顔も見ておきたいと思った。
今年で94歳になる祖母は、弁天町にある施設に入ってる。
目の焦点が合わず、こちらが話す言葉も分かってないみたい。
久しぶりに会う祖母の、やせ細った小さな手を握る。
目はしっかり開いてる。
なんとなく笑ってくれた気がしたけど、気のせいかも知れない。
父親がぼそっと言ってた。
「こんなこと言うもんやないけど、そろそろあの世からお迎えが来てくれてもええんちゃうかなーと思うんや。そのほうがおばあちゃんもラクやろうに」
”たしかにそうかも知れへんな”
と俺は思った。
”おばあちゃんいつまでも長生きしてや!”
そう言おうと思ったけど、それは滅多に会うことのない人間が言う勝手なセリフなのかも知れない。
寝たきりの祖母と足腰の弱った父親を見て、俺はまたいたたまれない気持ちになってしまった。
人の人生って何なのであろうか。
どういう意味があるのだろうか。
と。
父親は昔から、
「俺は老いぼれても、お前の世話にだけは絶対になりたない。だから安心しとけ」
とよく言っていた。
俺もそれを真に受けて、何も考えずに40年間ここまで来てしまった。
今更ながら、本当にアホな息子やなーと思う。
その日東京に戻る前に、俺は父親と母親に言ってみた。
”もしどちらかに万が一のことがあったら、その時は一人で大阪に居るんじゃなくて東京に来てくれへんか?一人で不自由しながら大阪におられるより、東京に来てもらったほうが俺はええんやけど。”
すると母親は驚いた顔で言った。
「お父さん聞いた?わたしらになんかあったら、東京で面倒見てくれるんやて!」
すると父親は
「まあそういう手もあるな…」
と、今までにない真剣な顔で答えた。
俺に両親の面倒を見るとか、そんな大それたことが務まるのか分からないけど、でも意志は固い。
そう、”固いのはチ○コだけ”
とは、もう言わせたくないのだ。(言われてないけど)
おわり。
▶プロフィール
森本真一郎(もりもとしんいちろう)
下北沢ライブハウスMOSAiC 店長
1978年10月7日生まれ B型
兵庫県出身 関西育ち
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